【店の碑】ら~めん行進曲〇〇(まるまる)

元役者のご夫妻が営んでいた、優しく温かいラーメン屋さんの思い出

2017年に店仕舞いをされたこのお店とは本当に不思議なご縁でした。

あれは今から17年も前のこと。

たまたま車で走っている時に「ら~めん行進曲〇〇(まるまる)」と書かれた赤い看板が目に飛び込んできたのです。

こ、これは、SNSで知り合った中田明則さんが「3月30日にオープン」とおっしゃっていた店の名前では!?

あわてて車を停めて、お店の前へ。まだ外装の途中で塗装屋さんがペンキを塗っておられます。

お店の中を覗くと女性がひとりで開店準備中でした。
「あの、すみません」と声をかけると「はい、いらっしゃいませ!」 と朗らかな笑顔で答えて下さった、とても優しそうな方。

それが奥様のさゆりさんで、店長である旦那様は外出中とのこと。
ごていねいにオープン告知のチラシを3枚も下さいました。

初訪問は開店直後を避けて4月に入ってからでしたが、中田さん、奥様、バイトの女性店員さんの皆様から歓待して頂きました♪

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居酒屋八朔

旬の食材と新鮮な海鮮料理が味わえる『西短の野球部精神』あふれる店長さんのお店

2021年4月28日、コロナ禍のなか北九州黒崎の商店街に
「居酒屋 八朔」さんはオープンされました。

こちらのお店とのご縁は全くの偶然からでした。

私たち夫婦はお酒を飲みに行きたくなるとJR黒崎駅前にある商店街・通称「カムズ通り」に行くことが多いのですが、この日5月3日はコロナ禍の影響もあり、多くのお店が閉まっていました。

「どうしようかな…」とうろうろしていると、一人の男性がお店のチラシを差し出してくれたのです。

“市場直送の新鮮食材を使った海と山の幸をリーズナブルに楽しめます”

(開店当初のチラシ内容ですので、内容・金額は一部現在とは異なります)


と謳ったチラシに心惹かれた私たちは、チラシを渡してくれた男性に尋ねました。

「日本酒はどんな銘柄がありますか」

私たちは「酒」といえば日本酒。しかも純米酒で冷酒限定。会社の宴会でも「とりあえず生ビールで乾杯」の声を物ともせずに一杯目から日本酒しか飲みません。
また大手酒造メーカーではなく各地の地酒を好むので、日本酒の品揃えが好みかどうかで行くお店を選ぶことが多いのです。

するとその男性はすぐお店に戻って確認して下さり「猿喰、池亀、船中八策があります」とお答え頂きましたので、喜んで入店させて頂きました。

店内で迎えて頂いたのは店長の井上浩一さん。
とても感じの良い朗らかな方で、私たちが日本酒党と知ると開店祝いに頂いたという「醸し人九平次 雄町 SAUVAGE」「風の森 ALPHA TYPE1」まで出して頂きました!

新鮮なお刺身に真鯛のあら炊き、ぶりかまの塩焼きに天ぷら盛り合わせ、さらには牛すじ大根のパイ包み焼きと、海の幸山の幸に和洋折衷を上手く取り入れたお料理の美味しさにもう大感激でした!

店長さんの確かなお腕前と、ユーモアをまじえた会話、また「~はあと○分で焼き上がります」といった細やかな気遣いの一言など、本当に心地よく楽しい時間を過ごさせて頂いたのです。

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【店の碑】地酒と家庭料理の店 満

Makotoが「神戸のおかあさん」と慕っていた女将さんとの思い出

1995年1月17日の夜明け前、突然の激しい衝撃に襲われた私は驚いて飛び起きました。

“ゴォオオオ───ッ”

という音と共に建物が左右に激しく揺れ出し、逃げようにも立ち上がることさえできません。
家具が倒れる音、物が壊れる音などが暗闇の中で響き渡り、
『助けて!』
と叫ぶ自分の声もかき消されました。

恐怖の時間は永遠に続くのかと思われましたが、やがて揺れは収まり、不気味な静けさだけが残ったのです。

また揺れが来るかもと思い、あわててパジャマの上にコートだけ羽織って外に飛び出しましたが、マンションの階段室の壁には大きなひび割れが生じており、

『今度揺れたら建物ごと崩れるのではないか…』

とおびえながらマンションの前の道路の向こう側まで走り出て、寒さと怖さでふるえながら立ちつくしていました。



東の空が明るくなってきた時、私は生まれて初めて
「朝日とは、こんなにもありがたいものだったのか」
と感じたのを強く覚えています。

阪神・淡路大震災。

当時、大阪北部の豊中市に住んでいた私でさえこれほどの恐怖を味わったのですから、神戸市東灘区に住んでおられた方々の心中は想像を絶するものだったことでしょう。

今回ご紹介するお店の店主さんも、この大震災によってその人生を大きく左右された方でした。

【「神戸のおかあさん」との出逢い】

関西のグルメ雑誌「あまから手帖」の別冊で日本酒の美味い店特集があり、たまたまそれを買って読んだところ一軒の店の記事に心を奪われました。

清潔感のある和風の店内、グラスに注がれた日本酒と青ネギがたっぷりかかった「どて」、そして白菜の古漬けを焼いて卵とじにした「白菜ステーキ」。
そのお料理の写真を一目見るなり
「ここの店は絶対美味しいにちがいない!」
と酒飲みのカンが騒ぎ出したのです。

とはいえお店の場所は神戸市中央区ということで、なかなか行く機会はありませんでした。

しかし、阪神・淡路大震災の鎮魂と追悼、街の復興を祈念して開催されていた光のイベント「神戸ルミナリエ」がその機会を与えてくれました。

当時遠距離恋愛中だった彼氏(現在の夫)と「神戸ルミナリエを観に行こう」となり、電車で三宮まで来たのですが雨が強く降り出してきました。
急遽雨宿りを兼ねてこの店「地酒と家庭料理の店 満(みつ)」に行ってみようということになり、緑色の暖簾をくぐって引き戸を開けたのです。

「いらっしゃい」とカウンターの中から迎えてくれたご年配の女性店主さん。

後に、私達夫婦から「神戸のおかあさん」と呼ばれることとなる、岩佐満子さんとのこれが初めての出逢いでした。

「こちらは初めてですか?」

先客さんとの応対を一段落させてから、柔らかな笑顔で話しかけて下さった店主さん。このお店を知った経緯もお話しすると

「いつもは雑誌でのご紹介の話はお断りしてるんですけど、今回のあまからさんだけはお受けしようと思って載せて頂いたんですよ」

と少し照れたような口調で話されました。

噂の「どて」を注文し食べてみると、なんとも美味しい!

どてと言えば普通牛スジの味噌煮込み、いわゆる「どて煮」を連想する方も多いでしょうが、こちらの店では牛の首の肉を使っており、さらに味噌タレで煮るというよりは煎ってころころとした状態になっているので、食感や風味が独特なのです。

そして何と言ってもこの店のすごいところは、地酒の品揃えの良さです。

壁の木札にもこのように40を超す銘柄が並んでいますが、出していない銘柄も含めて常時50種類はあるとのこと。
ご自宅にもワインセラーならぬ日本酒セラーをお持ちでした。

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どんと sing a song and a soul

2000年1月に虹となったロックンロールアーティスト・どんとの想い出

「これは論文などというものではないでしょう。
 例えるなら長い恋文のようなものです。

 かつて貴方が泣きたくなるほどの優しさをこめて、幼すぎる私に与えてくれた数限りない贈り物に対する、今の私ができる精一杯のお返しなのです。

 ずいぶん遅れてしまったけれど、その代わりたくさんのお土産も一緒につけて、あの冬の日に伝えきれなかった言葉達を今、貴方に贈ります。

 貴方は笑ってくださるでしょうか。

 それともあの夏の日のように『あんた、まめやねぇ』って目を丸くなさるでしょうか。

 その時の貴方の顔が、この1年間ずっと楽しみでした」

(卒業論文『Don’t sing a song~久富隆司論~』前文より)

2000年1月27日。ハワイで突然どんとはこの世を去った。
2月に彼の故郷で行われた通夜の席で、彼の遺影を目の当たりにしても信じられない気持ちで一杯だったけれど、今なおこの世のどこかでギターを抱えて歌っているんじゃないかと思ってしまう。
YouTubeやInstagramなどのおかげで、昔の彼の画像や動画を生きていた当時よりも多く見ることが出来るせいかもしれない。
私も20回目の命日(※初投稿:2020年1月27日)をひとつの大きな区切りとして、彼のことをここに記しておきたいと思う。



【京都1984~邂逅~】

彼を初めて知ったのは1984年。
YMOが好きだった私は細野晴臣と矢野顕子が審査員をするというNHKのヤング・ミュージック・フェスティバルというコンテスト番組をたまたま観ていた。
そこで京都代表の「ROSA LUXEMBURG(ローザ・ルクセンブルグ)」というバンドが登場した瞬間に、私の世界は変わったのだ。

卓越したギターテクニックで始まる「在中国的少年」という曲が流れ出し、少し遅れてヴォーカリストが飛ぶように現れた。
赤い人民服に京劇風のメイク、髪飾り。手には扇を持ち踊りまわり叫び歌う。
エンディングには自分でポケットから紙吹雪を取り出しぱっと撒き散らす。
音楽的要素・視覚的要素の両面で他のバンドを圧倒、ものすごいインパクトを残した。

当然、彼らは優勝。
その授賞式の際にもヴォーカリストはバンドメンバーに賞を受け取る役割を譲り、自らは嫣然と微笑み扇でぱたぱたと自分を扇いでいた。
大胆不敵さに私の心はすっかり奪われ、以後「ROSA LUXEMBURG」という名は忘れられないものになった。

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サルタヒコ noodle×cafe(旧店舗)PART3

「ぜひ太麺を食べてみて下さい」その自家製太麺が旨いったら上手いんです!

サルタヒコの宮司、もとい店主さんからのご神託、

「次はぜひ太麺を食べてみて下さい」

‥‥に従い、お店に伺ったのは春のことでした。

名古屋で出会った「まぜそば」の魅力を北九州に広めたくて開店されたお店なのですから、本来なら「鶏まぜそば」を注文すべきところなんですが、Makotoは汁がたっぷりなほうが好みなもので(^^;)
選ばせていただいたのがこちらの
「トリュフ香るトマトとフロマージュの汁そば」
でございます!

‥‥これを一見して「ラーメンだ!」と思える方は少ないのでは?

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サルタヒコ noodle×cafe(旧店舗)PART2

限定提供の魚介醤油らぁ麺「キラキラ節」&マダムお手製の絶品スイーツ!

「サルタヒコ noodle×cafe」さんで絶品鶏そば(&フロランタン)を食して以来、日増しにまた食べに行きたいという気持ちが湧き上がり抑えられなくなっていたMakotoです(笑)

しかしながら我が家から小倉までは1時間くらいかかるので、そうちょくちょくとは足を運べません。ところが2月になって息子が資格試験を受けることになり、その受験会場が小倉駅周辺という絶好のチャンスを得て、夫も誘い家族揃って再訪することができました!

今回は辛口好みの夫もいるので、三者三様に食べたいものをチョイスすることに。

夫は「鶏白坦々麺」。ごまの風味が芳しく、辛味とまろやかな鶏白湯スープのバランスが美味しい一杯だったとのこと。山椒か八角のようなスパイスが効いていたのが印象的とも。

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サルタヒコ noodle×cafe(旧店舗)PART1

化学調味料・食品添加物不使用の鶏白湯&特製自家製麺の極旨鶏そば

SNSで同業者さんから勧められているお店って、信頼性が高い印象を受けます。

しかも料理の画像は投稿しているのに店名は記さず

「同業が味の事をあーだこーだ言うのもどうかと思うので語りません」

としながらも

「置いてきぼりを食わない様に(自身も)頑張っていかないといけない」

と書かれてあったりしたら…

“これはかなり高く評価しておられるに違いない”

と、そのSNSを見た私は思ったわけであります(笑)

Makotoと「サルタヒコ noodle×cafe」さんとの出逢いはこうして始まりました。

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おかみさま ~らーめん志士 外伝~

らーめん志士さんの奥様は…もしや生ける【福の神】

鹿児島に在住していた頃、私は「ラーメン屋の女房」というシリーズ記事を自サイトに掲載していました。
その内容は店主さんを支える奥様にスポットを当てたインタビュー記事で、妻の立場ならではの体験談やそれに裏打ちされた言葉などを綴ったものです。

らーめん志士さんのお店に初めて伺った際、女将・恵さんの素敵な笑顔と心のこもった接客応対に感激し、この方にぜひ「ラーメン屋の女房」としてのお話を伺いたい!と強く思ったものです。

そしてこの度、お時間を頂いてインタビューをさせて頂いたのですが、お話を伺えば伺うほどに

「ラーメン屋の女房」

‥‥というよりも。

このお方、なんだか人間を超えた存在のような気がしてきましてね~。

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志士道 ~ らーめん志士のものがたり 其の三(終) ~

「諦めずに続けていればゴールは近づいてくるもの」志士物語PART3

わずか5坪、7席しかない店で念願の醤油・塩専門のラーメン屋「らーめん志士」を開業した別所さん夫妻。
「豚骨ないんか?ならええわ!」と出て行くお客様も多いなか、あるイベントに参加したことで大きな転機が‥‥?

【北九州ラーメンフェスティバル出場と六倉会結成】

北九州ラーメン王座選手権、当時はまだ北九州ラーメンフェスティバルという名前でした。2011年3月にこのイベントが初開催される時、ラッキーなことに声をかけてもらって出場して。翌年の第2回では4位に入ることが出来ました。

第1回目は初めての試みでしたから、主催する側も参加する店側も皆手探りでやってましたね。

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志士道 ~ らーめん志士のものがたり 其の二 ~

「嫁さんと二人で店をやろう!」ラーメン屋を志すことにした別所さんでしたが…?志士物語PART2

【失敗と改良に費やした六年間】

本やネットで調べたスープの作り方をあれこれと試しては失敗し、改良してはまた失敗とひたすら研究を続ける日々が続いていました。

やっとスープがスープらしくなってきた頃、今度はタレとの闘いが始まったのです。

恵さん「寸胴で作ったスープをタッパーに小分けにして冷凍して、出勤前に一杯分ずつ解凍しては工夫したタレを使ってラーメン作って、毎朝ラーメン食べてから仕事に行ってたんです」

別所さん「油ひとつにしても香味油がいいんか、練り油がいいんかとかいろんなものを試しては食べてました。誰にも教えてもらわんかったから失敗→改良→また失敗。この繰り返しやったけど、そうやって努力を続けてたのが結果的にはよかったと思う」

「失敗したのではない、1万回うまくゆかない方法を見つけたのだ」


電球の発明で1万回もの失敗を繰り返した際にエジソンが言った言葉を思い出しました。


別所さんが自分の求めるラーメンの味を確立するまでに費やした時間は、なんと6年に及んだのです。

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