【店の碑】地酒と家庭料理の店 満

Makotoが「神戸のおかあさん」と慕っていた女将さんとの思い出

1995年1月17日の夜明け前、突然の激しい衝撃に襲われた私は驚いて飛び起きました。

“ゴォオオオ───ッ”

という音と共に建物が左右に激しく揺れ出し、逃げようにも立ち上がることさえできません。
家具が倒れる音、物が壊れる音などが暗闇の中で響き渡り、
『助けて!』
と叫ぶ自分の声もかき消されました。

恐怖の時間は永遠に続くのかと思われましたが、やがて揺れは収まり、不気味な静けさだけが残ったのです。

また揺れが来るかもと思い、あわててパジャマの上にコートだけ羽織って外に飛び出しましたが、マンションの階段室の壁には大きなひび割れが生じており、

『今度揺れたら建物ごと崩れるのではないか…』

とおびえながらマンションの前の道路の向こう側まで走り出て、寒さと怖さでふるえながら立ちつくしていました。



東の空が明るくなってきた時、私は生まれて初めて
「朝日とは、こんなにもありがたいものだったのか」
と感じたのを強く覚えています。

阪神・淡路大震災。

当時、大阪北部の豊中市に住んでいた私でさえこれほどの恐怖を味わったのですから、神戸市東灘区に住んでおられた方々の心中は想像を絶するものだったことでしょう。

今回ご紹介するお店の店主さんも、この大震災によってその人生を大きく左右された方でした。

【「神戸のおかあさん」との出逢い】

関西のグルメ雑誌「あまから手帖」の別冊で日本酒の美味い店特集があり、たまたまそれを買って読んだところ一軒の店の記事に心を奪われました。

清潔感のある和風の店内、グラスに注がれた日本酒と青ネギがたっぷりかかった「どて」、そして白菜の古漬けを焼いて卵とじにした「白菜ステーキ」。
そのお料理の写真を一目見るなり
「ここの店は絶対美味しいにちがいない!」
と酒飲みのカンが騒ぎ出したのです。

とはいえお店の場所は神戸市中央区ということで、なかなか行く機会はありませんでした。

しかし、阪神・淡路大震災の鎮魂と追悼、街の復興を祈念して開催されていた光のイベント「神戸ルミナリエ」がその機会を与えてくれました。

当時遠距離恋愛中だった彼氏(現在の夫)と「神戸ルミナリエを観に行こう」となり、電車で三宮まで来たのですが雨が強く降り出してきました。
急遽雨宿りを兼ねてこの店「地酒と家庭料理の店 満(みつ)」に行ってみようということになり、緑色の暖簾をくぐって引き戸を開けたのです。

「いらっしゃい」とカウンターの中から迎えてくれたご年配の女性店主さん。

後に、私達夫婦から「神戸のおかあさん」と呼ばれることとなる、岩佐満子さんとのこれが初めての出逢いでした。

「こちらは初めてですか?」

先客さんとの応対を一段落させてから、柔らかな笑顔で話しかけて下さった店主さん。このお店を知った経緯もお話しすると

「いつもは雑誌でのご紹介の話はお断りしてるんですけど、今回のあまからさんだけはお受けしようと思って載せて頂いたんですよ」

と少し照れたような口調で話されました。

噂の「どて」を注文し食べてみると、なんとも美味しい!

どてと言えば普通牛スジの味噌煮込み、いわゆる「どて煮」を連想する方も多いでしょうが、こちらの店では牛の首の肉を使っており、さらに味噌タレで煮るというよりは煎ってころころとした状態になっているので、食感や風味が独特なのです。

そして何と言ってもこの店のすごいところは、地酒の品揃えの良さです。

壁の木札にもこのように40を超す銘柄が並んでいますが、出していない銘柄も含めて常時50種類はあるとのこと。
ご自宅にもワインセラーならぬ日本酒セラーをお持ちでした。

さらに意外だったのが「自分はお酒は飲まないんです。味見はしますけど」とおっしゃったこと。
だからこそ冷静に味の分析が出来て、お客さんに詳しく説明してお勧めできるのです。

味も単に甘口・辛口ではなく「どんな飲み心地がお好きですか?喉越しがスッキリした感じとか?」などお客様の好みを尋ねた上で「これちょっと味見されます?」と一口試飲させて下さったり。
本当に「お客様が納得・満足されるものを提供したい」という意識の高い方でした。

お酒の種類もおかあさんのこだわりで純米しか置かないので、翌日二日酔いすることはまずないのです。

「日本酒は悪酔いするとか皆さん言いはるけど、いいものを飲んだらそんなことはないのよ。今は焼酎とかがメインだけど、もっともっと日本酒の本当の良さを知って欲しいの」

と良心価格で提供しておられるその心意気は感動ものでした。

その後、夫との逢瀬は新幹線新神戸駅で待ち合わせて、このお店に行ってお酒を飲むというのがルーティンとなったのです。
12月になるとルミナリエを見に行こうとするんですが、満に寄るといつも楽しく時間を過ごしてしまい、結局3年くらいルミナリエには行きそびれました(笑)

【こだわりの素材と家庭料理の温かさ】

満のおかあさんの作られる料理は出汁作りや素材にとてもこだわりがあり、各地の様々な珍しいもの、また旬のものを工夫して美味しいお料理になさるので、食べるだけでなく話のネタも仕入れることが出来るんです。

春にはふきのとうやたらの芽といった山菜の天ぷらを出して下さり、神戸名物のいかなごのくぎ煮も「新子のサイズが小さくないとダメ」とか、味付けと食感にもおかあさんならではのこだわりを通されていました。

シシャモもカラフトシシャモ(カペリン)ではなく北海道の「柳葉魚 ほんまもん」で、雄と雌の味わいの違いを楽しんでもらうために「夫婦ししゃも」として提供。

また「ちんのたたき」という、なんとも不可思議な料理もありました。下ネタに捉える人もいたし、まさか犬の狆(ちん)の肉ではと恐れる人も。

見た目や味わいは鶏肉のようなのでさらに謎が深まるのですが、実はこれはまぐろのほほ肉のこと。
チークではなくあごにもひっかけた「ちん」とすることで「なんだこれ?」とお客様同士で話が盛り上がるのを狙ってのネーミングでした。
お味はもちろんとても美味しいので、友人を誘って来店した時にふるまう一品&話のネタとして間違いがない料理のひとつでした。

こちらの可愛いたぬきの器に入っているのは蓮根まんじゅう。出汁の効いた餡の中に蓮根をすりおろした揚げ饅頭が入っていて、寒い日にはいっそう美味しく頂けました(^^)

こんなふうに器にも工夫されていたおかあさんでしたが、大震災の時に多くが割れてしまい、このたぬきの器も少ししか残っていないと残念そうでした。

他にも熊本名物の山うにどうふ、沖縄のミミガー、うの花ころっけ、秘伝のドレッシングが決め手の菊菜のさらだなど、どれをとっても美味しい料理ばかり。

(食べかけの写真ですみません(>人<))


〆には大根の葉を刻んで混ぜた菜飯のおにぎりを頂くのが私のルーティン。家庭料理の温かさをしみじみ味わってから帰路についたものでした。


私が営業職になり昇進して課長になってからは、神戸での仕事を終えてから一人で立ち寄ることもよくありました。
酒を飲んで愚痴をこぼしたりするわけではありませんでしたが、何も言わずともおかあさんは

「Makotoさんはがんばっているわ。ほんとえらいと思うわ」

と、いつも温かい言葉をかけてくれました。

周りの友人たちがどんどん結婚退職して子供を産み育てていく中で、私の母は
「いいわねぇ。うらやましいわ。うちの娘はいつになったら‥‥」
と嘆き、親友の赤ちゃんの写真を見ては涙する姿を見せ付けられる日々だったので、男社会の中で仕事に取り組む私をそのまま肯定してくれることがとても救いになりました。


「地震で家がつぶれた時はとにかく早く家を建てて欲しい、どんな家でもいいからとにかく早く建ててと、そればっかり思っての契約だったから、すごく後悔してるの。
もしその時にMakotoさんが住宅販売のお仕事してたら、ぜひお願いしたかった」

おかあさんのこの言葉は今も忘れられません。本当にありがたかったです。



おかあさんは京都のご出身で、神戸では喫茶店からスナック、そしてこの家庭料理の店と長くお商売をして来られました。
さらにがんばっていこうと「満」をリフォームされた直後に阪神大震災が起こってしまったのです。
神戸市東灘区の自宅は全壊、きれいになったばかりのお店も半壊と大変な目に合われ、テント生活から避難所生活を経て、必死で頑張ってこられました。

「やっと家が建ったもののやっぱり使い勝手が悪くてね。間取りもじっくり考える余裕なんてなかったし、設計した人はあまりの忙しさに精神を病んでしまってたぐらいだから、どうしようもなかった」

“震災以降、神戸は死んでる”とよくおかあさんは言われました。
道路やビルはきれいに作り直したけれど、ここで働く人、生活する人はみんな置き去りだと。

経営的にもかなり厳しいけれど、それでもこの地でお店を続けて行きたいとおっしゃいました。

「『女将さん、寒くなってきたから身体大丈夫か?』て言わはって心配して、顔を見に来てくれる方が何人もおられてね。ここ神戸で、この店でなければと言ってくれるお客さんのために開けてるんですよ。皆さんから助けられ励まされて、なんとか頑張っていけてます」

店を出る私を見送ってくれるおかあさんの姿が、以前に比べて少しずつか細くなっていっているような気がしました。



【桜島の大根騒動】

長年の遠距離恋愛の末に結婚した私は九州に移ることとなり、夫の仕事の関係で佐賀、鹿児島、福岡と転居が続きましたが、大阪への里帰りの際には必ずおかあさんの店に寄らせてもらいました。

生まれた息子をとても可愛がって下さり、おもちゃなどもたくさん頂いて本当に実の孫のように思って下さったのが胸に染みました。

私の母はケガによる入院がきっかけで一気に認知症が進み、その後寝たきりとなっていました。
あれほど待ち望んでいた孫の事も認識できず、顔を見ても「可愛いね、どこの子?」と言う有様だったので、満のおかあさんが私の母の分まで慈しんで下さっているように思えて、ずいぶん心が救われたのです。

神戸から遠く離れた鹿児島まで、神戸の春の風物詩である「いかなごのくぎ煮」を作って送って下さったり、

秋には丹波篠山の「黒大豆の枝豆」も。
息子がテーブルの上まで登ってきて“もぎもぎ”して喜んでました(笑)

こちらからもお礼にと、鹿児島名物「桜島こみかん」や「桜島大根」を送らせて頂いたのですが、桜島大根についてはこんな騒動がありました。かなり長くなりますが(この記事自体がすでに大長編ですよね:笑)ご紹介します。


当時鹿児島には昭和時代からの歴史ある有名な商業施設があり、その野菜売り場に行くとでっかい桜島大根がどんと飾ってありました。

「このサンプルは超特大品なので、ひとまわりほど小さくなるかと思います。入荷したら即先様に送ります」

と現場スタッフの方が誤解のないようきちんと説明して下さったので、こちらも信頼して注文を済ませました。

「桜島大根を頂戴しました!有難うね~!」

と数日後にはおかあさんからお礼の電話をもらい、週末明けには煮込んで料理してお客様にお出しするとも言われたので、神戸在住の友人にも私から「ぜひ食べに行って~」とメッセを送ったりもしたのです。

しかしその後間もなくおかあさんから再び電話をもらい、非常に言いにくそうに「貴女の耳には入れたくなかったんだけど…」とお話を切り出されました。

なんと、先日届いた桜島大根、大きさこそ申し分なかったものの、葉はしなびており、なんと花まで咲いていたそうな。

実も水分がなく甘味は一切無し。煮付けてみたところカスカスのぼろぼろでとてもお客様に出せる品ではなかったと…。

おかあさんご自身も30年ほど前に鹿児島旅行で桜島大根をお土産に買われたご経験があり、ずっと車に積んで1週間くらい持ち歩いたけれど、家に戻ってから調理した時すごく瑞々しかったし甘かったとのこと。

その時とあまりにも違うのでこれはその店の信用にもかかわると、同じお客様に食物を提供する立場として「ちょっと言っておいたほうがいいだろう」と思われ、私には内緒でその店に電話を入れられたそうです。

ところが担当者は「すみません、替わりの物をすぐに送ります」と言うばかり。
あろうことかおかあさんの名前や住所を聞かずに電話を切ろうとしたので、おかあさんが不審に思い、

「貴方、送り先ご存知なんですか?」

と聞くと「尼崎ですよね?」と。

「いいえ、うちは神戸市です。送り主は(Makoto)さんですよ?さっきから言うてますけど?」

こんな対応だっただけに、さらに不安が募ったようでした。

はたして、その数日後に送られてきた二回目の桜島大根。
…なんと、一回目の品よりもさらに質が落ちていたのだそうです…。
花の数はさらに増えており、もっと水分は無く、真ん中の部分も色が変わっていました。

(おかあさんが「どうぞお気を悪くなさらないでね」と気遣いながら私に送ってくださった問題の桜島大根画像)

おかあさんは再びその店に電話をかけて
「他のお客様にもこういう桜島大根を平気で送ってるんですか?それはお商売としてダメなんじゃないですか?」
と話すと、今度は上司が電話に出て来て注文者である私にお詫びに行きたいという申し出はあったものの、

「送った時は大丈夫だったけど、気候が暖かいので輸送中に花が咲いた」
「卸売市場に問い合わせたが気候温暖化のため、もう良いのは入ってこない」

との弁明が中心になっていたそうです。

おかあさんは「せっかく桜島大根を送ってくださったMakotoさんのお気持ちに申し訳が立たない」との思いで、私には知らせたくなかったがその店からの電話が来るよりも先にと、即私に電話をくれたのでした。

「本当にごめんなさいね。貴女の気持ちはものすごく嬉しかったから、できれば内々で済ませたかったんだけど、向こうの対応がこんなんでねえ…」とすごく恐縮しておられました。

私としてはこちらのほうこそ申し訳ないと思いましたし、またこういうことはぜひ自分の耳に入れて欲しいと思う性格なので、かえっておかあさんに感謝したい気持ちでした。

「桜島大根初めて食べはる人やったら“こんなもんかいな”って思いはる。私も珍しいもんやからって、届いてすぐに切ってご近所にも“これで6分の1ですよ!大きいでしょ?”言うて分けたんやけど、後で謝りにまわったのよ。“食べてみたら今回のはハズレでした、すみません、見て楽しむだけにして下さいね”って。“こんなものが桜島大根なんや”と思われたら嫌やったから」

おかあさんはご自分のお店でも各地の名産品を、その良さが伝わるように最大限の配慮をして提供して下さってました。
その気持ちがあってこそのクレームだったことは私にはすごくよくわかったのです。

その折にはご自身の取引先とのこんなお話も聞かせて下さいました。

いつも冷凍で送ってくれる品が初めて融けかけた状態で届いたそうで、それを苦情というよりもお知らせとして連絡したら、相手様はすぐに丁重なお詫びをなさり、そのうえきちんとした状態のものを新幹線に乗って持参してこられたそうです。
おかあさんは感動され、ますますその取引先をご贔屓になさったとのこと。

人間のやることなので失敗することはあるけれど、そんな時にどれだけ誠意を持って対応するか、それが大事なのだと改めて教えてもらったように感じました。


【店じまい、そしておかあさん宅でのおもてなし】

2011年の7月、おかあさんは「地酒と家庭料理の店 満」を閉店されることになりました。

阪神大震災以降神戸の景気は悪くなるばかり、経営が厳しくなってきた上におかあさんご自身もがんで胃を切除することになってしまったのです。

回復された後にお店は再開したものの、今度はお店を手伝っておられた娘さんが足を悪くされ、歩くのも難しい状態に。悩まれた末の決断でした。

閉店までの約1ヶ月は、常連さんや私たちのような遠方にいるファンが続々詰め掛けて、連日大賑わいのうちに花道を飾るかのような幕引きとなりました。

その年の秋、私の元部下が京都で結婚式を挙げることになり、お式と披露宴出席を終えた後に神戸のおかあさんのご自宅に伺わせて頂きました。

元仕事仲間であり親友でもある神戸在住のTさん夫妻共々、心のこもったおかあさんのおもてなしを受け、お店でも頂いた懐かしいお料理の数々をご馳走になりました。

おかあさんは「こんな店で出してるような肴しか用意できなくて」と謙遜されてましたが、私もTさんも「これ以上のご馳走がどこにあるんや!」って思いましたよ(笑)

本物の夫婦ししゃもにイカの卵、

牛の首肉のどて煮に山うに豆腐…

枝豆は丹波篠山の黒枝豆と、いつもながら厳選された素材を使っておられるお料理の数々。
お酒も大吟醸を何本も出して下さったし、Tさんの焼酎好きな旦那さんには焼酎「百年の孤独」の13年ものも用意して下さったりと、もうVIP待遇でした♡♡♡

私たちにしてもTさん夫妻にしても、おかあさんのお店がなかったらもしかしたら結婚できてなかったんじゃないかと思うくらいに、満おかあさん、そしてこのお料理とお酒を頂いたあのお店はすごく大事な存在でした。
そしておかあさんの言葉にもどれだけ救われ、癒され、励まされてきたことでしょう。

「他人のことを悪く言ったり不満ばかり言う人は、ひとつ不満が解決してもまた次に不満の種を探して見つけては文句を言うから、変わらないのよ。そして不満が言えるってことは恵まれてるから。お仕事でも友人関係でも、いまここにあることだけでありがたいって思えば不満なんて出てこないのよ。余裕があるから不満が出る。もっと一所懸命必死で生きれば不満なんて見つける暇もないし、他人のことを悪く言ったりあれこれ文句つけたりしてる暇はないの」

「私たちは戦争中や震災の時はもう生きていくのに必死だったから、もうがむしゃらに働くなり何なりするしかなかった。人のことなんかどうこう考える余裕はなかった。人のことを心配したり世話を焼いたりできるってことは、自分に余裕があるってことなのよ。だからそうできるってことは幸せなのよ」

この日もおかあさんの言葉に深く頷きながら、楽しい時を過ごさせて頂きました。
そんなおかあさんが娘さんには「私はこうしてほしいの!」とちょっぴり我がままを言っておられる姿も垣間見れて、とっても微笑ましく思いました(^^)

あの日の満おかあさんのお顔、お声が今も思い出されます。

そのわずか5年2か月後に、満おかあさんは逝ってしまわれたのです。


【天のお店でまたいつか】

それは突然のお知らせでした。

2017年の1月下旬に、おかあさんの娘さんから訃報の葉書を頂いたのです。
そこにはこう記されてありました。

「母が年末大腿骨骨折により入院し、年明4日に手術をしましたが肺癌末期でリスク大きく術後回復せず1月19日永眠となりました。
 昨年しんどくて年賀状を書けないから、年賀状いただいた方へお礼の葉書を出してほしいと頼まれておりましたが、なかなか約束がはたせず今になってしまいました」

最後の旅行となられた山口の美しい海の写真を背景にされた葉書を拝見して、私は驚きと共に涙が止まりませんでした…。

近年は「目が悪くなって字を読んだり書いたりがきつい。携帯のメールも全然できない」とおっしゃっておられたので、おかあさんからのお便りがなくてもこちらからお送りしていれば、きっと安心して下さるだろうという気持ちでしたので、思いがけない訃報に

「会いに行っておけばよかった。電話もしておけばよかった…!」

と悔やまれてなりませんでした。

満おかあさんが作って下さったお料理はすべてがものすごく美味しかったし、及ばないながらも真似をして私のレパートリーにさせてもらったお品もあります。
白菜の古漬けをバターで焼いて卵でとじて、唐辛子をかけた「はくさいステーキ」。これはもともと岐阜県のご当地料理で、地元では漬物ステーキと呼ばれ、ごま油で焼いていたのをアレンジしたもの。

おからを使った「うの花ころっけ」、おでんの残りの牛筋を味噌で煎って、おかあさんの「どて」風に作ったこともありますし、貝柱で出汁を取った冬瓜と卵のお吸い物も。

大根の葉を入れた菜飯のおにぎりも、いつも「満」の〆に頂いていました。

これらの料理を作って食べるたびに「おかあさんが作られた味にはかなわないな。本当に美味しかったな」といつも思い出します。

でっかい「本マグロかま焼」に友人と数人がかりで挑み、その美味しさに感動したこと、Tさん夫妻と一緒に飲んだ時に「活性にごり本生 天降甘露地出 醴泉 純米吟醸」を開けたらお酒が噴水のように噴き出して、みんな濡れながら爆笑したこと…

おかあさんが逝かれてもう4年になりますが、お店そしてご自宅でご馳走になったことの思い出は忘れることはありません。

今も北九州の地で雰囲気の似た店構えを見ると「満」のような女将さんが居られるのではないかと期待しますし、黒崎の「和さび」さんで「鴨まんじゅう」を頂いた時には満の「蓮根まんじゅう」に通じる美味しさを感じて、涙がこみあげたこともあります。

(北九州市八幡西区「酒・肴 和さび」さんの鴨まんじゅう↓)


きっと私たち夫婦は、いえ、Tさん夫妻をはじめ「満」を愛した人たちは、ずっとずっとこの「地酒と家庭料理の店 満」と満おかあさんのことを忘れることはないと思います。

いつか天のお店であの緑色の暖簾をくぐって、またおかあさんに会える日が来ることでしょう。
その時を楽しみにしています。

(2021年2月初出、2024年10月加筆)

【旧サイト掲載時のコメント】

岩佐久美 様より

とっても素敵に母の生きた証を綴っていただき、またずっと忘れず覚えていて下さり感謝です。お店のお客様に恵まれて母は幸せでした。母が見たら、大変喜んだと思います。皆さんに見てみてと連絡していた事でしょう。目に浮かびます。
本当にありがとうございます。

HyugaMakoto
(岩佐久美 様への返信)

ありがとうございます。
在りし日の満おかあさんから頂いたお心がとても大きくて大切なものばかりで、こうして書かせて頂くことで少しでもおかあさんへのお返しになればと思いながら綴りました。
記事ではおかあさんを主に書かせて頂きましたが、久美さんにもいつも大変良くして頂きましたこと、今回の記事掲載にも快くご了承いただけましたこと、心から感謝いたしております。


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