ラーメン時計台

鹿児島人に愛され、支持されている「時計台」の美味しいラーメン

※2009年12月初訪問

みそラーメンといえば札幌、北海道ですよね。

いやいや、それが違うんですよ。
みそラーメンといえば鹿児島!ですですカゴシマ!
それも札幌じゃなく串木野。ラーメン時計台のみそラーメンなんです!

実はMakotoはあまりみそラーメンが得意ではありません。

ところがTJカゴシマさんの2010年2月号ラーメン特集企画において、味噌ラーメンで評判のいい店を数軒訪問し食レポを書くこととなり、そのなかに当時天文館にあった「ラーメン時計台」さんも入っていたんですね。

どんなものだろうかと思いながら「みそバターラーメン」を頂いたのですが、なんと飲みやすいまろやかな味噌ラーメンスープ!!

かといって薄いというわけでなく、鶏がら&豚骨、そして野菜の旨みがぎっしりと詰まった本当に美味しいラーメンだったのです。
トッピングの黒豚チャーシューもしっとりと味わい深く、野菜も火の通り加減が絶妙でした。

そして何より心に残ったのが女将さんの優しく素晴らしい笑顔。

食べ終わった後に天文館で買い物をし、帰り道で再度店の前を通った際ふと上を見上げると、二階にあるお店の窓越しに女将さんが笑顔で挨拶をしてくれたことも大変印象的でした。

このことがきっかけでご縁が始まり、「ラーメン屋の女房 時計台編 いつも二人で笑いあえる幸せ」のインタビューもさせて頂いたり、福岡に引っ越してからも串木野と博多の名物を贈りあったりと、良いお付き合いをさせて頂いたのでした。

「創業35年(当時)の有名老舗」「1日1,000杯を作った職人」「これぞ職人技。頂点に立つ味」というキャッチコピーが有名な時計台さんでしたから、店主の濱田さんはさぞやお若い頃から調理師の道を歩んで修行してこられた方かと思いきや、

「実は電線を売るサラリーマンだったんですよ」

と意外な経歴を笑いながらお話下さいました。

「学校を出て就職したのが名古屋で、工事業者さんに電線を卸す会社の営業マンだったんです。特別何がしたいって思って就職したわけじゃなかったんですが、かといって特別不満もなくて。

でも上司である課長さんが何かというと

『ハマちゃん、お前なんか自分でやったほうがええぞ』

って独立を薦めるんですよ。

というのもその課長自身が独立志向の強い人だったんですが、もう高齢だったんで自分はやりたくても出来なかったと。

だから『何かやるなら若いうちだぞ』って言ってくれたんですね。でも自分には特別やりたい仕事っていうのも浮かばなかったんで、そのまま電線の営業職を続けていました。

それがまた1年半くらい経った頃に課長さんが『ハマちゃん、なんか好きなことはないんか?』って聞いてこられて。

それで僕も『おいしいものを食べるのが好きです!』って答えたんです。そうしたら課長さんが『よし!食べ物屋だ!食べ物屋をやれ!』って。僕もそれなら!って気持になって(笑)」

そこで濱田さんの心に浮かんだのが、当時名古屋でものすごく繁盛していたサッポロラーメン屋さん。入店まで1時間、入ってからも30分待つほどの大人気店で1,000杯を毎日売るという美味しい店だったそうです。

『そうだ、ラーメン屋になろう!』って思って、その店で修行させてもらおうって決めたんです」

それが「サッポロラーメン時計台(注:よく似た名称のチェーン店がありますが、無関係の独立店です)」でした。

濱田さんは「サッポロラーメン時計台」の大将さんに

「今の仕事に区切りが付くのが半年後なんで、その時になったら弟子入りさせて下さい!」

と頼み、以後は新規のお客様にご迷惑をかけないよう営業職から身を引き、ずっと倉庫で電線を切る作業をしていたそうです。

半年たって担当していたお客様からの入金が全て完了し、濱田さんは会社を辞めて「サッポロラーメン時計台」に行き、大将さんに改めて弟子入りを願い出ました。

ところが大将さんは「ほんまに来たんか?」とびっくりされたんだとか。

「どうせ来ないだろうと思ってたらしいです(笑)弟子にしてくれって来るやつは多いけど、本気でやるつもりの人は少ないし、ましてや半年先なんて絶対気が変わるだろうと。でも僕、ほんとに来ちゃったんですよね~(笑)」

大将さんは驚きはしたものの「今夜寝るところはあるんか?」と濱田さんに尋ね、ないと聞くや「店の更衣室の押入れで寝ろ」とその日から引き受けてくれ、2日後にはアパートに住めるように何もかも手配してくれたそうです。

「大将はすごく度量の大きい人でした。僕は『給料は要りません。商売の仕方とタレの仕込を教えて下さい』と頼んで弟子入りさせてもらったんですが、ちゃんと最初から給料もくれました。
しかも大学卒の初任給よりも多めに下さったんです。

そして最初の日は『お前は何もせんでそこにずっと立っとけ。店全体を見ておけ』と言われて、ずっと立って見てました。
そうしたらお客さんの動きや、どこが手間取ってるから流れが止まるとか、いろんなことがなんとなくわかりました。

2日目からはいきなりラーメンを作らされて、どんどんお客さんに出したんです」

でも大将さんの調理指導は「たいがい」だったそうで。
分量もお玉に味噌をすくって「ほれ、このくらい」。
なので濱田さんも「こんなもんかな」という「てげてげ(※1)」感覚で作っておられたそうです。

「なにせそれまで包丁を持ったこともなかったんで『料理とはそんなもんなんだ』って思ってたんです」

ところがある日、濱田さんが作ったラーメンを食べたお客様(偶然にも同じ鹿児島出身の方)から呼ばれ、こう言われたそうです。

「なんの味もせんど?」

「その時に『ちゃんと分量を量って、ちゃんと味見をしないと美味しいものは出来ないものなんだ』と初めてわかりました(爆)

そんな濱田さんが作ったラーメンをお客様に出すよう指示をされていた大将さん、違う意味でも度量が大きかったようです。

「修行時代は朝8時から店に入って、1,000杯分の仕込みです。

延々と野菜を切ったり餃子を作ったり…営業時間は朝11時から夜の11時までで、他のスタッフは2交替制でしたが僕はずっと朝から晩までやってました。

独立するためにと意気込んでたんですが、2ヶ月くらい続けたらさすがに『もたないかも』って思って(笑)でもやるしかない!って続けました。
そうしたら大将もわずか半年で『今日からタレの仕込を教えてやる』って言ってくれたんです」

かなりハードな日々も笑いで過ごしながら味も見事にマスターし、1年少しの修行を終えて鹿児島に帰郷。わずか25歳で薩摩川内市に念願の自分のラーメン店「サッポロラーメン時計台」を開業しました。

「大将に開店の日を伝えたら、奥さんと二人で手伝いに来てくれたんです!白衣と長靴も持参で。あれは嬉しかったなぁ‥‥」

薩摩川内のお店でも開店当初から仕込みは1,000杯分用意なさったそうです。

「ところが開店初日、出たのは70杯でした(笑)次の日も1,000杯分仕込んだけど、70~80杯で、3日目になってさすがに

『こりゃちょっと何か違うな』

って(爆)まず味なんですが、自信を持って出してたんですが鹿児島の人からは大ブーイングでした。名古屋では辛口が好まれてたんですが、鹿児島ではやはり甘味を求められてるんですね」

そこで濱田さんは醤油も鹿児島独特の甘味のあるものに変え、塩加減などもすべて鹿児島人の舌に合うように調整され、野菜の切り方や火の入れ加減なども試行錯誤を重ねて「鹿児島のラーメン時計台」の味を作り上げていかれました。

味の次に考えたのが立地条件。

「初めに開業したのは薩摩川内市の中心地でしたが、やはり国道沿いでないとダメだと。店が終った後に毎日薩摩川内から国道を車で流して候補地を探しました。
ついにいちき串木野でいい場所を見つけ、交渉したんですが所有権がややこしい土地で、貸したいけど貸せないと言われ断られました」

ところが話をするうちに、もともとの地主さんが濱田さんのお父様に昔大変世話になったことがあるとわかり、人を介して持ち主の方を説得して下さり、ついにいちき串木野でも「サッポロラーメン時計台」のお店を出せることになりました。

以来40年以上にわたって「鹿児島人に愛されるラーメンの店」として不動の人気を誇る名店となったのです。

店舗にトラックが突っ込んで来て大破するという事故の影響で、数年間は天文館に移転営業していましたが、その際も大きな気づきを得られたそうです。

「老舗に来られるお客様っていうのは、ある意味『信者』さんなんですよね。ラーメンが食べたい、っていうわけじゃなく『こむらさき』さんなら『こむらさき』さんのラーメンだけを食べに来られる方ばっかりなんです。だからここで営業するのなら、自分の味のお客様を新規開拓しなければならない、って気づいたんです」

店名も「北海道ラーメン」という思い込みから脱するために“サッポロ”の文字を抜き「ラーメン時計台」に。

「ひとくち食べたら即『おいしい!!』って思われるようなラーメンを」

「単にブームでもてはやされるようなものではなく、本当に支持され続けるようなラーメンでなければならない」

と味の追求が始まりました。
常に「こうしてみればもっと美味しいのではないか?」という研鑽の日々を繰り返し、現在に至っています。

「以前は支店を何軒も持って、時には4店舗それぞれで1,000杯出すことを競ってたこともありました。

でも今は原点に戻って、食べ終わったお客さんが

『美味しかった、幸せ!』

って言ってもらえるような、そんな店であれば十分だなって思うんですよ。

そのために1から10まで手をかけて、スープも麺も餃子も漬物も、何もかも自分達夫婦で『本物』を作る。それができるってことはね、自分達も幸せってことなんですよ」

時計台さんの取材でとても印象に残っているのはご夫婦仲のよさでした。店主さんご自身もこんなことをおっしゃっています。

「うちの嫁さんには本当に感謝ですよ。こんな変人の(笑)わがままな男に口答え一切せず傍でずっと支えてくれて、店での調理、接客、配達に経理事務まで全部やってくれた。
4人の子供たちも皆しっかり育ててくれて‥‥こうして月日が経つにつれて、うちの嫁さんの良さをさらに感じるようになりましたね。

何せ人の悪口を絶対に言わない。僕なんかはすぐカーッと来てついつい文句を言ってしまうんですが、嫁さんは『お父さん、そんな風に言うもんじゃないわよ』って僕を諭してくれるんですね。
そんな嫁さんを持ってると心が洗われる様な気になります。11歳も年下なのに、人生を教えてもらってるような気さえしますね。

男はすぐ『仕事だ』『夢だ』とか偉そうな事言いますが、気分良く仕事させてもらってる嫁さんあってのことです。男なんてたかが知れてますからね」

旦那様の素直な感謝の言葉を恥ずかしそうに聞かれながら、奥様は続けてこうおっしゃいました。

「この人に気持ちよく仕事をしてもらうのが、私の一番の仕事だって思ってます。

だって気持ちよくラーメンを作ってもらえたら美味しいラーメンが出来るし、お客様も喜んで下さる。
お客様が喜んでまた食べに来て下さると私も嬉しいし、最終的に私たちもお客様も皆が幸せになれるでしょう。

だからおいしいとこは全部この人にあげて、見えない部分の苦労は全部私が引き受けて(爆)この人には気分良く仕事してもらいます」

奥様のこの言葉を聴いて「素晴らしい奥様だな」って思いました。同じ女性として妻として私はずっと尊敬してます。

2017年に鹿児島に戻った際に、串木野まで車を飛ばして行ったことがあったのですが折悪しく定休日で、お会いすることが出来ませんでした。

また今度行こうと思っているうちに、慌しく引っ越してしまいお会いできぬままだったことが悔やまれますが、きっとご夫妻は今日も元気に朗らかに美味しいラーメンを作っておられることと思います。

そして県外から観光客の方がラーメンを食べに来られたら、きっとこの言葉をおっしゃっておられるでしょう。

「うちはお客さんがイメージされている鹿児島ラーメンじゃないかも知れませんが『鹿児島人に愛され、支持されているラーメン』です。どうぞ召し上がってみて下さい!」

(※1)てげてげ:鹿児島弁で「適当」「大体」という意味


【HPリニューアルに際して付記】

2019年にラーメン時計台の店主さんはご長男さんにお店を任され「今は気楽な隠居生活(奥様談)」に入られたそうです。

奥様はお店のサポートをなさると共に、花壇を作ってお花の世話もしておられるとのこと。

「可愛い花たちが咲き乱れて、いい季節です」

2022年の春にご連絡をいただいた際、奥様はこんなことをおっしゃっておられました。

今度鹿児島・串木野に行く際には必ず伺わせて頂きますね。その日を楽しみにしております♪

(2019年1月初出、2024年10月加筆)

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