北九州の名店らーめん志士さんの歴史にMakotoが迫ったノンフィクションPART1
「志士」というと吉田松陰や坂本龍馬など、幕末に活躍した勤皇の志士を連想される方が多いでしょう。
そうした歴史ファンの方が「らーめん志士」さんにシンパシーを感じて「幕末の志士では誰がお好きですか?」と問いかけると、店主の別所武さんはこう答えられます。
「歴史はくわしくないんです。すみません‥‥」
がっくりきた皆様、ちょっと聞いてもらえませんか。
そもそも志士とは「命をかけて高い志を貫く人」を表します。
別所さんの「らーめん志士」開店、そして現在に至るまでの道程は、まさに志を貫いてきた志士の物語だったんですよ。
【化学メーカー営業マンから焼き芋屋さんへ?】
北九州出身の別所さんは関西の名門大学を卒業、大阪の化学メーカーに新卒で入社し営業マンとして働いていました。
傍から見れば順風満帆な日々かもしれませんが、本人はそうではなかったようです。
「あんまり人と会ったり話したりするのは苦手だったんです。どうもストレスがたまって。漠然と『ひとりで黙々となんかやりたいな』と思うようになって、3年くらいで辞めました」
その後とりあえず収入を得るために居酒屋、引っ越し屋、宅配便業、焼き芋屋、ネジ工場などを転々とするフリーター生活へ。
当時を振り返って奥様の恵さんはこうおっしゃいました。
「焼き芋は売れなかったら買い取らなきゃいけなかったんで、この人が持ち帰ってきた焼き芋を私が食べてたんです~『お芋♪お芋♪』って喜んで(笑)」
今も仲睦まじいご夫妻ですが、恋人時代から常に朗らかにご主人に寄り添って来られた様子が伝わって来ました(^^)
しかし、お正月帰省から戻られた別所さんから衝撃の一言が。
「小倉に帰ることにした」
恵さん「実家の仕事(印刷屋さん)を手伝うことになったからって‥‥
私は“ガーン!”ってなって涙出てきて。それ以上何も言えず、聞けずに
『帰るわ‥‥』って。泣きながら自分の家に帰ったんです」
恋人との別れのショックで泣き続けている娘を見かねて、心配したお母様が「どうしたん?」と声をかけてこられました。
別所さんから「小倉に帰る」と言われたことを告げると、
お母様「『ついて来たらあかん』とか、『ついて来るな』とか言われたん?」
恵さん「言われてない‥‥」
お母様「ほな、ついていったらええんちゃうの?」
お母様は心臓に持病があり、恵さんは小倉について行きたくとも「お母さんを残してはとても行けない」と、それも悩んで泣いておられたのです。
恵さん「でも、当の本人の母が『ついていったらええやん』って言ってくれたんで、すぐにこの人のとこに戻ったんです」
驚く別所さんに恵さんは泣き腫らした顔で、けれど満面の笑顔でこう言い放ちました。
「ついていってやっても、ええよ!」
Makoto「その時、ご主人は何とおっしゃったんです?」
恵さん「『ありがとう』って」
別所さん「‥‥言ってない」
恵さん「え?!『ありがとう』って!!‥‥‥言われた気がする~(笑)」
記憶の相違はともあれ、急遽大阪で結婚式を挙げ、二人で小倉に移って来ました。
実家の仕事を始めた別所さんでしたが、化学メーカーで働いていた時のように「何かが違う」と感じ出しました。
「会社というか、組織の中で働くのが自分には合わないということに気がついたんです。このままずっとこうして働いていくのかと思うと、いやいやそれはダメだ、と」
じゃあどうしようか、会社勤めを辞めて何をしようか、と考え出した頃、別所さんはよくラーメンの食べ歩きをしていました。
「まず思ったのが自分は『ラーメンを食べるのが好き』ということ。そして『ラーメンなら一人でも出来る』。そうだ、嫁さんと二人で店をやろう!と。ラーメン屋を志すことにしたんです」
別所さん夫妻の「らーめん志士」への長い道程が始まりました。
【ガチンコ佐野さんごっこと丑の刻参りの日々】
ラーメンと言えば白濁豚骨王国の北九州で、別所さんが選んだのはなんと清湯スープの醤油ラーメンでした。
「スキマ産業を狙いました(笑)自分自身は豚骨、塩、醤油と何でも好きなんですけど、周りは豚骨だらけなんで『醤油やったら店ほとんど無いからええわ』って」
ところがラーメン屋になろうとは思ったものの、ラーメン店での修行経験がない別所さんはどうやってスープを作ればいいのかがわかりませんでした。
「スープを作るのに骨がいるっていうのはわかってた。でも骨なんか手に入らへんし、どうしようって思ってスーパーに行ったらスペアリブがあったんで『これ、骨ついてる』って買って帰りました(笑)」
恵さん「家庭用の寸胴鍋にスペアリブと野菜とか入れて煮るんですけど、ただの鍋みたいやった(笑)なかなかラーメンのスープにはならんかった」
当時、TV番組内企画「ガチンコラーメン道」に“ラーメンの鬼”佐野実氏が出ていたこともあり、失敗したスープを捨てる際は「佐野さんごっこ」をしていたとか。
恵さん「『こんなクソ不味いスープ作ってからに!』ってジャバー!
『金かかる趣味や!』って怒りながらバッシャー!
せっせと作っては『ダメだー!』ってジャバジャバ捨てて。
馬鹿やな~って(笑)」
そのうちにスペアリブは卒業し鶏がらや豚の骨を使うようになりましたが、一般のスーパーではなかなか売ってないため、奥様がスーパーや肉屋さんを周っては
「ホネを下さい‥‥」
とお願いして材料集めをしていたそうです。
また、ゲンコツ(豚の脛骨や大腿骨)を叩き割って中の髄を出すのも家の中ではなかなか難しかったので、週末の夜になると近所の公園に行って、ベンチの上で骨を叩き割っていたそうです。
血が滴るような肉の付いた骨をバケツに山盛りに入れて手に提げ、もう片方の手には金槌を持ち小脇には新聞紙をはさんで、暗い夜の公園にやってくる男。
ガッツーン!ゴッツーン!
広げた新聞紙の上に骨を置き、憎しみをこめて?金槌を振り上げ力いっぱい振り下ろし打ちつける別所さん。血の付いた肉片、骨片が飛び散ろうとも黙々と金槌を振るい続けるその姿は、まるで【丑の刻参り】状態でした。
恵さん「近所の人から『不審者が人間の骨叩き割ってる』って通報されたらどうしようって心配やったんですよ~(笑)」
別所さん「豚骨割るのはどこのラーメン屋もやっとることやん」
Makoto「いやいやいや、夜の公園では割ってないでしょう」
その後も丑の刻参りは長きにわたって続きましたが、豚骨をちゃんと割ってから届けてくれる業者さんにめぐり会い、ついに満願成就?で終わりを告げました。
通報されずに済んでよかったですね。
しかしスープの完成、そしてらーめん志士の開店までにはあまりにも長い時間がかかることを、この時のお二人は想像すらできなかったのです。
(志士道 ~ らーめん志士のものがたり 其の二 ~へ続く )
(2019年2月初出、2024年10月加筆)